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造詣がないのに日本文学を読み漁る

『和解』を読んだ。

*「兄弟子との複雑な関係です危険」や「The Reconciliationではありません。「毒親にトラウマがある人注意」な方の感想です。

 

こっち↓

和解 (新潮文庫)

和解 (新潮文庫)

 

 

子供に対して、殴られたり食事を与えられないなどの目立つ虐待はしないものの、圧迫や精神的な虐待をする、いわゆる「毒親」が世の中に一定数います。


毒親の特徴ってのがあるそうです。

  1. 親ヅラを偉そうにアピールする
  2. 神様のような親
  3. 子供が自分より幸福になることが耐えられない
  4. 義務を果たさない(子供が必要としていることに応じない)
  5. コントロールばかりする
  6. 親自身の利益や都合が最優先
  7. 犯罪自慢をする
  8. かまいすぎて子供を精神的に窒息させる
  9. 残酷な言葉で子供を傷つける
  10. 暴力を振るう
  11. 自由・人権・プライバシーの真意を知らない
  12. 同じ価値観を強いる

この小説は「マジで」「リアルに」「自伝的小説」だと言われていて、名前が違う以外は、志賀直哉御大ご自身が若いころマジで体験したことをリアルに書いているようです。

読み終わったり、解説を読んだりした今、この作品の「父」がやってることが、上記の毒親の特徴にヤバいくらい当てはまるので(とくに「親ヅラを偉そうにアピールする」「コントロールばかりする」「親自身の利益や都合が最優先」「残酷な言葉で子供を傷つける」「同じ価値観を強いる」「子供が必要としていることに応じない」あたりがすごくよく当てはまってしまって)ビビっています。そうか!直哉の父ちゃん毒親だったのか…!

 

毒親」という概念がない時代に毒親に苦しめられるのはどれほど孤独で辛いことだったろうか。


この作品を読んで結構心に響くものがあったのは、母が「毒親の12の特徴」に10個も当てはまる祖母という毒親に苦しめられていたことを祖母の病をきっかけに知り、私には優しかった祖母とのギャップと次々明かされる吐き気のするような母に対する態度にとまどい、子供の私ですら理解できない、母の孤独すぎる戦いもみて心を痛めてきたからです。たぶんそういう経験がなかったら、この志賀直哉の「和解」は「めでたしめでたし〜〜〜ヨカッタネ」「志賀直哉って言うほどか〜?」でおしまいになってしまったのではないかと思いました。逆に、毒親を持つ人間には劇物、トラウマを呼び起こすような本ではないかと思いました。だから志賀直哉って実力派なのにこの間読んでた太宰治川端康成やこのあと読む芥川龍之介と違い万人ウケするタイプではないといわれるのかねゲフゲフッ
私は祖母が母に毒親という中間層なので劇物とまではいきませんでしたが、母の言動を思い出して辛かったです。母は祖母を見舞うと自分の方が重病人のようなナリで帰って来ていました。この作品の冒頭でそれを思い出してしまった。

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 あらすじ

主人公(自分)は、父と対立している。父にとても複雑な感情を抱いている。なんども父とぶつかり合い、そのたびに心の傷が深くなっていく。妻との結婚を反対され、生まれた自分の初子のいまわの際では、彼の孫であるというのに心無い仕打ちをされた。全ての父の言動が主人公を傷つけていく。主人公が閉塞感に苦しみ、仕事すら出来ないと感じた矢先、妻が第2子を懐妊していることが判明する。さらに、家族の中で唯一自分を愛してくれた祖母の体調が悪化する。父とこんな関係を続けていていいのだろうか?と深く苦悩するが、旧友との心温まる交流や、妻の出産を間近で見、再び父になった主人公は、精神の安定を得て父に頭を下げることを決意する。

 登場人物

自分(順吉)…主人公。千葉県我孫子在住。著者自身がモデル。父に囚われている。父の気配を感じたり父にあったりするだけで体調不良になる。父になって父の心情を理解し始めたあたりから、父を憎みきれていない。父に対する感情が大きく揺れ動く。銀行が死ぬほど苦手らしい。

父…主人公にとっては何を考えているかわからないし、圧迫したり残酷な言葉ばかり吐く。主人公とサシで向き合おうとせず、主人公を理解する努力もしない父親である。が、一方で、主人公をおそらく彼なりに深く愛していたのだろう。居場所がなかなかつかめない。

康子…主人公の妻。康子と書いて「さだこ」と読む。著者の妻がそういう名前だから仕方ない*1。…すっごく…可愛い。いいしれないほど可愛い。主人公との結婚を主人公の父から反対された。ただ、夫と舅の確執の本質は、妻でさえ、理解できない。

祖母(留女)…主人公を溺愛するし、主人公も祖母を母代わりのように感じている。父と自分の対立に祖母を巻き込みたくないと主人公は感じている。最近体調が良くない。スモーカー。

母…父の後妻、主人公の義母である。主人公と父が仲直りすることを切に望んでいるが、父の情報を主人公に、主人公の情報を父にシャットアウトしてしまう、ダブルバインドな行動を繰り返して主人公に穏やかにキレられる。また、主人公と父の仲直りを、主人公が今までの行動を父に謝ることだという考えを持っていることが言葉の端々からうかがえる。

Y…主人公の友人。不安定で初子が生まれた主人公をよく支える。途中で妻と朝鮮半島に旅立ったことで、主人公は孤独になってしまう。主人公側の人間であり主人公に同情的で、主人公の用を主人公の実家にたのまれにいったりするが、親子関係そのものに触れることはない。

K子さん…Yの妻。すごく、たよれます…。

M…主人公の旧友。ムーミントロール(嘘)。Yさんの代わりに主人公の家の近くに引っ越してくる。言葉や描写の端々から、主人公が父と複雑な確執があることや主人公の心情をかなり理解しているようなことがうかがえる。この小説いいな発表しろよ買い物行こう映画見よ飯食おうロダンの彫刻の本はいいぞと引きこもっている主人公を外へ連れ出す。彼と友情を再び温めることで主人公は癒されていく。

独断と主観による「和解」レーダーチャート

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文章の美しさ:「うつくしい言葉」はそんなにないけれど、「端正な言葉」で書かれているという印象を受けます。
知性・教養:…の塊の志賀文学です。
話の面白さ:主人公の意識や心境の変化を刻々と追う話であり、あらすじが面白いと思う人は限られてくると思います。ただ、読めば主人公の心理や心境の波に飲み込まれていくので、面白いと思います。
テーマ性:神話の昔から存在する親子の不和、毒になる親とうまくやる方法をとりあげており、当時の家父長的な家族とあわせて鑑みても、深いテーマ性を感じます。
描写の緻密さ:…の鬼の志賀直哉です。
構成の巧みさ:このあと読んだ芥川の論理的な緻密さとは違いますが、計算して書いてる。こいつは計算されてる。

 

 ✿調べたメモ✿

①Yさん…美学者・宗教哲学者の柳宗悦、K子さん…声楽家の柳兼子、Mさん…小説家の武者小路実篤らしい。ムーミンじゃない。

②Mさんが途中好意的な評価をしている小説は「城の崎にて」がモデル

③実際の志賀先生と父上の対立の始まりは、志賀先生が「御家の都合」で父ではなく祖父の手元で育ったからで、爆発したのは聡明で社会正義感に溢れる直哉くん18歳が足尾銅山鉱毒事件の被害者を視察しようと考えたから。父と足尾銅山を経営している古河財閥とは非常に深い関係にあった模様。つまり、父ちゃんの仕事の邪魔をしようとしちゃったので父ちゃんにキレられたのである。

 ✿感想

一読目…そんなにすぐに親子が仲良くなれるわけ?は?
二読目…まって?親子、和解してないじゃんw
三読目…親子の和解とは、なんなんだろう…

と思いました。

 ✿和解してなくない???は??

読めば読むほど、ゾクゾクしたんですが、表面的にもあらすじにも「父と快い和解をとげた」という話なのに、実際読み進めて行くと、「主人公が父親に頭下げた」「父がそれに満足した」「父と喧嘩しなくなった」ってだけのことなんですよね。

①調べたメモで父子の対立の始まりを書きましたが、そんなものは本作のどこにも載っていません。調べなければ読者には父子が対立している本当の原因がわかりません。ただ父親の気に入らない女と結婚したこと、父を避けたこと、第一子の死に残酷な言葉を吐かれたことが、最近の親子の対立の最たる話題になっています。つまり原因がわからないため、何が解決なのか出口が読者にはわからないのです。…だから、この親子が本当に「和解」したのか実際のところはわかりません。

②また、「父」は肝心の和解の場面でも、主人公とのサシでの対話を避けます。妻や弟(主人公にとっては叔父)を呼んで、もう主人公が二度と父に逆らわないことを確認させられるような格好になります。

③さらに、「父」も主人公も、一切お互いの人格や行動パターンを肯定的に理解したわけではありません。お互い、行動パターンはわかりすぎているほどわかりすぎているのですが、主人公は「父がどんな態度を取ろうとも引き込まれずに余裕を持とう」と思い、父は「(主人公も)これまでのことは誠に悪かったと思うから、将来は又親子として永く交わって行きたいと云う」と一切自分の非を反省せず、「親子として永く付き合っていきたいと云う希望だと云うし」と上から目線で言います。このことば、まるで義理の息子に宛てた言葉のようで、裏を返せばお前は息子ではあるが息子ではない、ということになるかと思われます。

リーガル・ハイで、娘が親権停止を求めた裁判の話がありましたが、親子関係のことを「深くて強い絆だから困難なんです!」と叫んでいました、コミカド先生が。それを思い出しました。古美門家もその母娘も。そして、この小説の主人公と父も。深くて強い絆であり、愛情を持つのが当然とされる関係であるからこそ、こじれるととてつもない毒を発するのだと、感じています。
父は母のいないぶん、主人公を深く愛していたと、セリフの一つ一つから察することができます。でも、父は、主人公がもつ心のお皿に愛情をうまく注げるようにコントロールできなかった。愛情が子供に届かずに溢れていく。愛情薄く育った子は父を痛々しいほど裏切っていく。どこに愛情を持っていけば良いのかわからない。そうして、注がれなかった愛情が腐っていく。だから、父は押し付けがましい言葉になってしまう。
主人公は父を愛していることが言葉の端々からうかがえます。今度こそは、お父さんも僕に優しい言葉をかけてくれるかもしれない。僕を受け入れてくれるかもしれない、と。しかし父はサシでの対話を避けるのです。なんどもなんども裏切られて、もう父の顔すら見るのが嫌になって。父にあっただけで二日間寝込んでしまう。
本質的な意味での親子関係は破綻しています。修復できません。

つまり、お互いの人格や価値観を認め合ったのではなく、表面上でも穏やかな親子関係を継続していく契約を結んだ、という「和解」であると捉えることができます。

じゃあ「妥協」の方が題名として正しいんじゃないの?って感じですが、どうやらコトバンクによれば、民法上の用語として「民事上の紛争を当事者が互いに譲歩し合って自主的に解決すること。」と書いてありこの状態は間違っていません。「妥協」なんて小説のタイトルとしてどうなのってのだしwwww
ただこの小説の「和解」の仕方は、「和解」ということばから想定されるイメージとはずいぶんずれた和解だな、ということです。

ムーミントロール

作中Mさんという謎の生き物が出てきます。一応人類のようですが人類にあるまじきヒーリング能力の持ち主でありムーミントロール(Mだしな)的なものを思い浮かべながら読みました。いやモデルを知っていてもそう思っちゃったのよ

一応、ムーミントロールではなく、志賀直哉の幼馴染で、一緒に『白樺』を創刊したこともあった武者小路実篤がモデルと言われています。Yさんよりかははるかに主人公の親子の対立を知っている印象があります。幼馴染だからな!「なおや〜!!あそぼ〜〜!うちのお母さま*2がさぁ〜〜パウンドケーキ焼いたからさ*3〜二人で食べろっt」って門叩いたら「お前という息子はァァッ!!」っていう志賀父の怒号を聞いたことだってあったかもしれないしな!

 このMさんが良い働きをしている(ような気がする)。引きこもりがちな主人公をよく外に連れ出し、「父」を主人公の心から追い出しています。

主人公がスランプに陥っている時に「え?この作品よくかけてると思うぞ!よっし!発表だ!来月発表しろ!」とど直球で慰めたり、主人公が父親に執着している時に「僕は!!!!ロダンの!!!!本を!!買ってきたぞ(੭ु´͈ ᐜ `͈)੭ु⁾⁾」ってロダンの本を押し付けてきたり、主人公の感情のデフレスパイラルをあろうことか力技で止めていて、面白かったです。
とはいえ全部力技というわけでもなく、主人公が父親にされたことを告白した時、「(君の父親は)相変わらず頑固だね」という学生時代からお互いの家に遊びに行っていたであろう幼馴染ならではのセリフを吐いていて、わりとこの絡み、主人公の負の感情を理解のある幼馴染Mさんが変わって掃除している印象がある。力技で。

でも負の感情のスパイラルに入った時、力技って必要かもしれない。この幼馴染の、「お前を負の感情のスパイラルに入れさせはしないぜ…✨」という力技と妻の出産をリアルに見て感動し、また再び父親になったことで、主人公に余裕と精神的安定が生まれてくることになります。

✿頭をさげる

 さっき言った通り、この主人公親子の本質的な意味での親子関係は破綻をきたしており、ではその先に何を見るかという話になるのかなと思いました。だから、主人公は父に頭を下げたのだと思います。お互いがお互いに囚われる感情はもうやめにしようと。頭をさげるという行為はお礼以外の他に、自分の今までしてきたことが誤りであったということを認める行為であり、親から心無い仕打ちをされてきた人間がする道理は本当はありません。けれど、主人公は、父に何か親ならではの、自分を理解してくれるような事を期待するのを諦め、自分が折れれば良いのだという境地に達したのではないでしょうか。

それができるようになったのは、精神的な余裕と安定から生まれた強い自己肯定感に基づくものであり、決して長い長い親子ゲンカに終止符を打った!ハッピーエンド!親子幸せに!とかいう、リーガル・ハイでいうところの「朝ドラァッ!」というものではありません。実際、和解後の親子団欒のシーンでも「うわ…そこでそういうこというのパパ」と思う心無い発言も父から出てきます。でもそれを受け流す主人公の姿がそこにあります。頭を下げちゃったからです。口悪く言えば、父に何ら期待していないからです。

もう父にとらわれない。心を動かされることはないのだという強い思いこそが、この作品から見えてくるような気がしました。

言うなれば、父ではなく、父を憎く思う気持ちと父を愛おしく思う気持ちに苛まれていた自分の心が「和解」したって感じでしょうか。

✿言葉メモ✿

志賀作品は哲学的な言葉が多い。

その儘に信じていい事を愚さから疑って、起さなくてもいい悲劇を幾らも起しているのは不愉快な事だ

スヌーピーに、三角屋根の上で言ってほしい言葉。

出産、それには醜いものは一つもなかった。(略)妻の顔にも姿勢にも醜いものは毛程も現れなかった。総ては美しかった。

奥さんの出産に積極的に参戦して「私の上体を自分の胸の上にたくし込んで、背中を羽がいに抱きすくめた(=つまりつっかえ棒になったということを言いたいらしい)」「若し私が産婦と同じ程度にいきんでいなかったら、産婦の腕は私の胸を押しつぶすだろうと思う程だった(=つまり出産中の女はゴリラだという事を言いたいらしい)」と感想を漏らした、志賀せんせーとおんなじ白樺派でも絶対超絶優等生な有島武郎先生とは違い、「いや〜僕ぁ外出てます…あの男の人がね、出産とか見ちゃいけないと思うんですよぉ〜奥さんだって出産するところ見せたくないと思いますしね〜…何より妻の苦しむ様を見るのは苦痛だしな!」って主人公が思ってたところ、看護婦に「父親だろ。手伝え(意訳)」と連れて行かれて手伝わされたあとに発した言葉。

これから本統の事を正直に書いて頂きます。

なんとなくこの言葉遣い好き

自分は知らず知らずの中に、所謂大きな愛で父を包み切る事が出来るような気になるのは馬鹿気た事だと思った、自身の実際の愛の力も計らずに。

愛って…許し…許容…なんなの…

 

おまけ。この、あほあほな描写を銀行の場面*4以外では一切許さない作品の中で、唯一に近いあほあほな描写がぬけぬけだったので。Mさんが初登場するシーン。

Mが医者から肺が悪いと云われたと云った。(略)自分は我孫子に住む気はないかと勧めて見た。それをいう時は自分が京都へ行く事は念頭になしに云った。

 主人公この直前まで「もう我孫子は嫌だ。僕は京都に行くッ!!!!京都の郊外でさあ…」って奥さんと張り切って話してたんですよ。抜けてるよ!大事なところが!抜けてる!引っ越すっていってたじゃない!!!
結局武家の小京都と有名な鎌倉に旅行しただけでおわった。

 

次は、品評会で彼以外ほぼ「今月の志賀作品は微妙」と評価しているのにブチ切れ熱い志賀語りを始めたほど、志賀を愛さずにはいられない(弟子談)志賀過激派で、志賀先生を「純粋な作家」と称し、映画見にいったら志賀先生がいて映画に集中できず、でも二通くらいしか手紙送ってない上、生前7回くらいしか会ってない(志賀談)のに「スランプの時どうしてたんですか」と踏み込んだ質問をして「3年くらい何もしないで休んでました」って答えられたら「僕はそんな結構なご身分ではないから」とかえして志賀先生に(…参考になったかどうかわからない)とか、すんごい丁寧なお辞儀を志賀先生にしたとか、お腹壊して志賀先生の家にいったところとあまりに神経質そうで(…のんきに構えていないといけないッ!)と思われてしまったなどなどなど、志賀先生が絡むと完全に挙動が好きなイケメン男子を目の前にした乙女とか推しのグッズを買うときのオタク以上の不審さになる、理知的な作風で有名な芥川龍之介*5の「地獄変」を読もうと思います。

*1:子爵家のお姫様なんです。志賀は上流階級のお坊ちゃんなんです💢

*2:白樺派はお坊ちゃん集団

*3:白樺派のイメージ。けっして干し柿とか芋けんぴとかじゃない

*4:銀行の場面では、主人公の絶対銀行殺すマンっぷりが際立っていて、銀行に理不尽にキレまくっていて、この気が抜けない作品の中では唯一気が抜けます。

*5:芥川先生が志賀先生をいかに崇拝してたかって逸話を聞くたびに必ず可愛くて面白くって腹筋が崩壊するんだけどどうしたらいいだろう。しかも芥川文学は読んでる限り「従いたまえ!」みたいな上から目線が多くて志賀先生を評論してる時もそんなかんじなのが味を添えているんだけどどうしたらいいだろう。芥川のレベルが高すぎて私の腹筋がついていけない