『童子』を読んだ
実はこういうものがあって、この作品は以前から知っていました。
今回こういう機会を得たのだから読んでみようと思いました。
あらすじ
待望の長男は体が弱く、生まれてから病気ばかりしていた。両親は子供の発育不良を案じながらも、かかりつけの医師や周りの人の人情に支えられて、初めての子育てをしていく。発育不良っ子の子育て奮闘日記…
…のはずが、1歳の誕生日をすぎて少し経った頃、子は百日咳と思われる病気にかかり、苦しみ抜いた末に死亡。悲嘆に暮れ、発狂寸前の父親の前に、しばらくすると、死んだはずの童子が現れて…。
登場人物
童子:名前は豹。病弱で発育不良な赤ん坊。しかしながら、幽霊になった途端、今までしゃべれなかったぶん、ペラペラと喋りだす。美形(父親談)。
私(語り手):豹の父親。親バカで天然で神経質なキレキャラである。作家。
妻:(母、女)豹の母親。子供が授かって喜ぶが、脚気があり、乳を与えられない。夫の奇癖(?)のためになかなか子供が授からず、もやもやしていた。
夏:下女。風邪をひいていても風邪の豹の面倒を見なければならない。
平林:書生。豹の乳をもらいに行くために泥まみれになる。
樋口さん:優しい方の医者。
写野さん:冷静な方の医者。どうやら樋口さんより目上のようである。
動坂の女性:豹にお乳を分けてくれるいいおばさんである。
ともかく泣いた。泣かざるを得ない…。一応怪談に分類されていますが、ここまで痛ましく切ない泣ける怪談、怪談じゃ無いです。怖くないです。むしろ悲しくて切ないです。痛ましいです。
恨んでやる、祟ってやる、じゃない幽霊。親が悲しみのあまり作り出した幻想かもしれないけど、親の嘆きようが見ていられなくなって、親を救うために子供が幽霊として現れるなんて、親子って何なんだろう。
✿子供を幽霊にする
この『童子』という作品自体は室生が実際体験した(幽霊を見たかどうか知りませんが)ことをベースにしているとされています。豹くんは室生の長男の豹太郎くんをモデルにしており、豹太郎くんが一歳の誕生日をすぎて死にました。長男の死をきっかけに、室生の文学生活自体も厭世的になっていきます。
とはいえ、子供をモデルに怪談を書くって親として相当な勇気がいるなと思いました。やはり、文中にも出てきましたが、
- 子供が、早く死なせた親である自分を恨んでいるのではないか、という自責の念
- 幽霊でもいいから再び会いたいという愛情
- 誰に対するでもない、強いて言えば医者に対する怨み
- 子供が再び帰ってこないという絶望感
が強かったのだなあと思います。それが、子供をモデルに怪談を書くということをあえてさせたのではないかと思います。
✿親子関係
語り手と豹くんの親子関係以外に、もう一つ書かれている親子関係があります。語り手と語り手の母の親子関係です。「愛憎のはげしい母親*1」と称されていて、「私」との複雑な親子関係が文中で示唆されています。しかし、その母は、豹くんが生まれてから、語り手が送った豹くんの写真を抱いて眠るようになります。つまり、孫ができて語り手との関係に少し改善の予兆が見られるのです。
そして、語り手の母は豹くんを見に東京にやってくるまでに語り手との関係が改善します。豹くんと語り手と語り手の母は、田端*2から上野まで電車で行きます。
田端〜上野は今、京浜東北線か山手線で5駅。3.4km離れています。歩きで41分。体の弱い子にはかなり大変なのではないでしょうか。豹くんは、それ以降、真綿で首を絞められるようにゆっくりと悪くなり、死の道へと歩き出してしまいます。
ここを読んだ時、等価交換という言葉を思い出してしまいました。母との関係が改善するには、最愛の子供の命を差し出さなくてはいけなかったのか、と。
そしてさらに、語り手は、神経質なキレ芸キャラであり毎回いろんなものに怒っていますが、母には怒りません。一生懸命手を尽くしてくれた医者を恨みかけても、豹くんが死ぬ遠因になった上野行き、そして上野行きの原因になった母を恨もうと思いもしません。
そこに、親子関係の業の深さを痛感しました。そういえば、ずっと前読んだ中国の古典で、親か子どちらかを殺せば許してやろうと言われた罪人がいて、「親は俺にとって一人しかいないから」「子供はまた作れるから」と号泣しながら子供を殺した話を思いました。室生の生い立ち(浅学なので深く知りませんが)を含めて考えてみると、この上野行きのシーンは叫びたくなるほど悲しい気分になりました。
✿キレキャラ、成長する。
なんども言っていますがこの語り手はキレキャラです。室生犀星先生ご自身が喧嘩っ早いキレキャラだったので分身である語り手もキレキャラなのです。
よくしてくれた医者に子供を亡くした件について話を聞きたいと切れています。しかし、最終的に話を聞きに行きません。つまり、豹くんを亡くしたということを最後の最後で、受け入れたということです。
怪談として、語り手(主人公)が劇的に成長するものは初めて読んだので、意外でした。これ、もう怪談じゃないんじゃないの…????
✿言葉メモ✿
「こんなに乳が出るのに、これが飲まされないなんて−−。」
脚気を患った妻(豹くんママ)の痛ましいセリフ。ここでひと泣き。
「お前をよく知っているらしいが、どうもおれというものを確かに知っていないらしい。つまりおれが父親だということをそういう意味をはなれてもお前とくらべると、赤児は全で他人のような顔をして見ているように思われる。」
「そうでしょうかしら、しかし能く知っているらしいんですよ、ほら、お父さんですよ、分って?」
なんかこの感情、パパが乳幼児によく感じる感情らしいですね。パパを〜〜置いてけぼりに〜〜ママと〜豹と〜〜二人で楽しそうだな〜〜〜〜むかむか!みたいな
「お父さん、最ういちど抱いてやってください。 」
ここでボロボロ泣いた。
「子守唄もうたえないし……。」
母親の子供が死んだ悲しみをさらっと深く描いていて、泣いた。
「あてがないけれど、やはり此処ではじっとしていたより歩いた方がいいの。何がなし一日こうして歩いては少しずつ行くんだけれど、さっぱり分らない。」
豹くんがしゃべったーーーーーー!というよりも、豹くんを失ってひとところをぐるぐるしている父に向かって喋っているセリフで、意味深。
さあ、次は葉桜と魔笛を読みます