『美しい村』「序曲」を読んだ。
ほんとごめんなさい。_(⌒(_´-ω-`)_
前の記事で横光利一の『御身』を読むといいました。
けれどちょっと今回堀辰雄の『美しい村』を読んでみることにしました。
「美しい村」を書いた堀辰雄は、川端康成の後輩であり、彼や横光利一と『文學』という同人誌を創刊した人です。また、井伏鱒二とも親交があり、井伏鱒二の数多い随筆にもたまに数少ないイケメン枠ry、若く聡明謹厳な文学者として出てきています。
美しい村とは、長野県の軽井沢のこと(とされています)。堀先生は軽井沢をこよなく愛する文豪だったと言われていて、師事していた室生犀星や芥川龍之介にひっついて軽井沢に行くうちに若いうちから重度の軽井沢中毒軽井沢に愛着を覚えていき、人生の後半は結核の療養も兼ねて軽井沢に引っ込んで創作活動に励んでいたそうです。
「美しい村」は4部構成であり、1933〜1934年にかけて、『序曲(初題:山からの手紙)』『美しい村』『夏』『暗い道』と4つの短編として発表したのを中編小説としてまとめたものです。特徴的なのは中身であり、第二部の『美しい村』において経験したことを若い小説家が小説として書いている様を『夏』『暗い道』で表現する、という入れ子構造?というかマトリョーシカ??みたいな作品となっています。
……まあ読めばわかるさ!
そんなわけで第一部『序曲』を読みました。
✿概要・あらすじ
正直、あらすじをどう書いていいものだかわかりません。
『美しい村』全体の入れ子構造の話はさっきした通りです。ですが、正直申し上げて、
「これといって筋がない」
のです。*1ひたすらに言葉が美しく、言葉で描かれる静寂の世界に誘われると言った印象です。
何か主人公の若い小説家は深く傷ついていて、それを美しい村で癒していき、そして新しい作品を創作しようとしている姿を描いたものなのです。うーん、今まで読んだ中だと心理(心境)小説である「和解」に一番近いかもしれないです。また志賀かよ〜〜。小説の神様だからどこにでも姿を表すなぁ。
『序曲』は元々の題を「山からの手紙」としており、主人公の思いや近況が手紙形式で綴られています。そこには、軽井沢(K村)の様子、宛先の女性(と思われる)と何か確執めいたことがあったこと、『クレエヴ伯爵夫人』を読んだことなどが記され、宛先の女性には手紙を書きながらも「第一、この手紙にしたって、筆をとりながら、果してあなたに出せるものやら出せそうもないものやら、心の中では躊躇っているのです。おそらく出さずにしまうかも知れません。…」と手紙を出すか出さないか逡巡しているところで締めくくられています。
手紙が「かしら?」「ですもの」など現代は女性がつかう言葉が使われているせいで妙に妖艶な感じに受け取っちゃう。
✿言葉メモ
「毎日、気持ちの良い朝夕を送っています」→「三年前でしたか、僕が病気をして十月ごろまでずっと一人で滞在していたことがありましたね、…(怖い自然描写、「無気味」「侘しさ」「凋落の感じ」などという寂しげな言葉を使う、めっちゃ長い)」→「そんな侘しさがこの六月の高原にはまるで無いことが何よりも僕は好きです。」
文章ってこう作ると「好き」が伝わるんだと思った文章。
一回「好き」と宣言した後、1ページくらいに渡る否定的な文言を書き、それをうけて「そんなものがまるで無いことが自分は好き」というと、鮮烈な「好き」になるんだと思いました。さらに、否定的な文言はひたすら「無気味」「侘しい」「淋しい」など他人を責めない文言にする+不気味だと感じた自然を描写し人を介在させない、という手段を使って、他人を不快にさせないようにしています。うーんなるほど。
あと「この六月の高原」の爽やかさで全て不快な描写を一掃していますね。
これがこれから咲き乱れて、いいにおいをさせて、それからそれが散るころ、やっと避暑客たちが、入り込んでくることでしょう。
「これがこれから〜」→「〜それからそれが」は時間のすっとした流れを感じる。
ちょっといたずらしてみる。
①「これがこれから〜」→「〜それがそれから」=いつ散るんだよ
②「これからこれが〜」→「それからそれが」=「それから」で挽回できるけど、咲く時期が若干遠い気がする
③「これからこれが〜」→「それがそれから」=まったくもって不明瞭
おもしれ〜〜〜、と思いました。
「どうぞ、都会にいたたまれないでこんな田舎暮らしをするようなことになっている僕を不幸だとばかりお考えにならないで下さい。」
「あなた方さえ知らないような生の愉悦を、こんな山の中で人知れず味わっているのですもの。」
後述しますが、かなり個人的には下世話な空想を膨らませる問題の文章だと思っている反面、この主人公はとてもしぶとい、田舎でもしぶとく生きていける、と感じた文章。
この「序曲」の中で一番綺麗だなと個人的に感じた文章。
丁度、母屋の藤棚が真向こうに見えます。さっきもいったように、その花がいま咲き切っているんです。が、もう盛りも過ぎたと見え、今日あたりは、風もないのにぽたぽたと散りこぼれています。
さすが室生と芥川の間の(文学上の)子ッ!!!!!!
あんまよく知らんけど。よくわからんけど。詩情と分析の間の美しさという感じがします!!!!!あんまよく知らんけど!!!適当だけど!!!
✿主人公に何があったか探る下世話の会
私は下世話なので、「主人公」と宛先の女性(と思われる)は何があったのか「序曲」から考えてみようと思います。まったくもって下世話です。お許しください。
- 冒頭の「ご無沙汰をしております」
…主人公と宛先の女性は長らく接触の機会を持っていなかったと伺えます。なんだろう。
- 「三年前でしたか、僕が病気をして…」
…三年以上前から知り合いのもよう。
- 「都会にいたたまれないでこんな田舎暮らしをするようになっている僕」
…都会で何かあったらしい。
- 中盤の「あなた方は何時頃こちらへいらっしゃいますか?」
…宛先の女性は軽井沢に別荘を持っているようです。ちなみに主人公は宿を取っています。ここから言えることは宛先の女性が軽井沢に別荘を持てる財力の持ち主であり、書き手である主人公はそれより劣る、つまり宛先の女性の身分が高いか、書き手(主人公)より年長であるか、そのどちらもであるか、のどれかだと思われます。また、文章からかなり親しい仲であったと考えられるのに、敬語であることを踏まえても、これは考えつきます。
- 「あなた方とはじめて知り合いになったこの土地で」
…あなた「方」とついていることから、宛先の女性は家族持ちであることが考えられます。
- 「僕はほとんど毎日のようにあなたの別荘の前を通ります。」「通りすがりにちょっとお庭へはいってあちらこちらを歩きまわることもあります。」
…書き手(主人公)、不法侵入。不法侵入が許されるほど、宛先の女性と主人公は親しい仲と思われます。
- 「僕のいま起居しているのは宿屋の奥の離れです。…(略)…御存知でしょう?あそこを一人で占領しています」
…昔は一人ではなかったということですし、御存知でしょうということは、宛先の女性が頻繁にそこに訪れていたのかもしれない。
- 「この小説(=「クレーヴの奥方」)についてはあなたに一番にその読後感をお書きしたいし、また黙ってもいたい。」「あなたに無理矢理にお読ませしたラジィゲの「舞踏会」…のときは、まだあんなにこだわらずに、その本をお貸しが出来たけれど、そしてそれをお読みになってもあなたは何もおっしゃらなかったし、僕もそれについて何もお訊きしなかったが、それでも或る気持ちはお互い通じ合っていたようでした」「いま僕は、あの時のようにこだわらずに、この小説(=「クレーヴの奥方」)の読後感をあなたにお書きできるかしら?」
……宛先の女性が本好きなだけなら、「社交界における、身分高い人妻と美青年の恋愛」が描かれる小説を、二冊も用意する必要がないわけです。堀先生はラディゲがお好きなようだから、「ドルジェル伯の舞踏会」は外せないとしても、なんらここに伏線を敷いてないのであれば「クレーヴの奥方」まで持ってくることはない。更に言えば、当時堀先生はプルーストにハマってこの作品を書いたはずなので、何か考えがなければ普通にプルーストの作品をいれるはず。なんかある。しかも「いま僕は、あの時のようにこだわらずに、この小説の読後感をあなたにお書きできるかしら?」といっているので、ラディゲの本を読んだ時とはちがってそういう「社交界における、身分高い人妻と美青年の恋愛」的な何かに「こだわる」関係になってしまっていると受け取ることができます。
- 「(「クレーヴの奥方」を読んだおかげで)だいぶ僕も今日この頃自分の妙に切迫した気持ちから救われているような気がしています。」
…「社交界における、身分高い人妻と美青年の恋愛」的な何かに「こだわる」関係は、「クレーヴの奥方」を読んで切迫した気持ちが癒されるような関係であると推察できます。
つまり。ここまで読んでみると、あくまで可能性ですよ。可能性。
「小説家である青年(主人公)が、社交界(東京)で、夫や子ある身分高い年上の女性と深い関係になるが、(クレーヴの奥方などを踏まえると)女性に拒絶されたか、女性との噂が立って(=都会にいたたまれないで)、軽井沢にやってきた」
「長い間知り合い状態であった女性と青年が深い関係になったのは二、三年前以降」
という裏話が可能性として浮上してくるのですがどうなんでしょうかね。
と、ここまで考えたのはいいのですが、あんまりに下世話で楽しいのでこの空想は続けていこうと思います。次の「美しい村」「夏」「暗い道」を読んだ時、新しい情報が入って、この裏話がどう変化するかわりかし楽しみ。
✿用語チェック
赤腹…スズメ目ツグミ科の鳥。ツグミ大で、背面は暗緑褐色、胸・脇が赤茶色、腹中央は白色。本州中部以北の森林地帯で繁殖し、冬は暖地に渡る。繁殖期に雄は美しい声で鳴く。
バンガロオ…バンガローハウス。ウィキペディア先輩によると「明治末期から大正期にかけて,西洋住宅に倣った住宅改良の気運が高まり、その一例として、1900年代初頭にアメリカ・カリフォルニアを中心に流行していた簡素な造りのバンガローと呼ばれる庶民住宅の形式が注目された。バンガローは自然に囲まれた郊外地に適した木造平屋で,経済的であり、テラスで屋外とつながる開放的な造りは日本の気候風土や日本人の好みに合うと考えられた」らしい。
『クレエヴ公爵夫人』…『クレーヴの奥方』。ラ・ファイエット夫人の書いたフランス心理小説のさきがけ。あらすじは、母親シャルトル夫人から宮廷の色事への警戒心を教えこまれていたクレーヴ公爵夫人が、夫への敬愛とはまったく異質なヌムール公(美貌の青年公爵らしい)に対する激しい恋に身をさいなむ。ヌムール公の人目を忍ぶ求愛にゆらぐ心を支えようと,夫に告白して助力を乞うが,夫はその衝撃が原因となって死に、公爵夫人はヌムール公の愛を蹴って修道院に隠棲するというもの。宮廷という華麗な閉鎖社会の視線のなかで追い詰められる夫人の理性と情念の葛藤をまさぐり出す心理描写に秀でる、といわれている。
ラジィゲの『舞踏会』…ラディゲの書いたフランス心理小説。やはり、社交界を舞台にした、身分高い人妻と年下の美青年との激しいが表面的は静謐な恋愛が描かれる。「最も淫らで最も貞潔な恋愛小説」と言われているとかなんとか。
✿まとめ
筋がないので読みづらいといえば読みづらく、目が滑る時もあるとあったのですが、主人公に何があったのか、とても空想を膨らませる書き方がされていて、そこが好きです。
やっぱり、井伏先生の本を読んだ時にも感じたのですが、井伏先生や堀先生、川端先生や横光先生など、after芥川-before太宰時代の小説家は、「言葉」に対してすごく敏感な印象を受けます。うまくはいえないのですが、言葉メモに記した通り、言葉の効果を計算している印象があります。私の気づかないところでもっと計算がされているかもしれないです。
そしてなにより、上品で静謐です。主人公と手紙の宛先の女性との間の関係は推測でしか考えられないほど後ろの方に、軽井沢の自然や美しい花々が目立って描かれていることが、程よく緊迫感を和らげていて落ち着きます。夜に静かに読みたいやつです。
*1:「筋がない小説サイコーーーー!!」「筋のない小説こそ純粋な小説なのだァァァ!」とのたまった芥川先生の弟子らしいといえば弟子らしい小説かもしれません。